新たな出発。
2024年 02月 22日
昨日は雨天のまだ暗い午前5時に輪島に向けて出発しました。 「のと里山海道」に入ると多くの車が輪島に向かっていました。 七尾市の西岸あたりでようやく空が明るくなり、少しずつ周りの景色が見えてきて、まず懐かしい海を眺めてから、その後は倒壊した家が目に入り始めました。 道路は段差のあるところが多く、気をつけながらの運転でした。 穴水に入ってから、まず毎週通っていたカフェ「SMOCO」がどうなっているかが気になりました。 そして「SMOCO」が見え始めた時に、店内に明かりが点いているのに気がつき、夢中で向かいの道路傍に車を止めて、店の戸を開けました。 店主の鹿島君は突然の私の姿に驚き、「ご無事でしたか!」と高揚した顔で私を迎えてくれました。 そしてすぐにコーヒーを入れてくれて、二人で今までの話をしました。 彼は二次避難所に家族を残して、一人で炊き出しやコーヒーを振舞ってはボランティア活動をしているそうで、この日も中能登に物資を運ぶ予定で、早い時間から準備をしていたのでした。 活動や店の修復の為のクラファンを始めたそうで、皆様にご協力をお願いしたいと思います。 彼と別れて車を走らせると三井あたりで倒壊した家が多く目に入りました。 そして私の家近くの通りに兄の店の軽四があったので、そばに車を止めて家に入りました。 玄関が傾いていて閉め切らない戸を開けて兄を呼び、甥も起きてきて運んできた食料や飲み物を渡し、話をしました。 嫁さんと長男は避難所にいるそうで、一階の二間をそれぞれで使っていました。 私はどうにか立っている仏壇とお位牌にお参りをして、歩いて街を確かめながら神社近くの工房長屋に向かいました。 工房長屋ではテレビのニュースで見たとおり、ラトリエドノトの池端君や知り合いのシェフ、料理店主達が炊き出しの仕込みをしていて、私はすぐにその中に入って手伝いをしました。 12時近くまで手伝って、近くのオリゾンテの勝手口から顔を出すと、オーナーシェフの惣領君が私の顔を見て「ご無事でしたか!」と目に涙を浮かべました。 彼も二時避難所に家族を残して一人でお客さんの為にピザを焼いていました。 私はマリゲリータを一枚頼み、1時頃に来ると約束をして店を出て「なるせ」のあった朝市通りに向かいました。 通りの知っている店の殆どが倒壊していたり「危険」の赤い紙が貼られていて、何度もテレビや新聞で見てきた焼け跡にたどり着きました。 「なるせ」のあった場所には雪が降り、雨が降って瓦礫がドロ土に埋まっていて、店で使っていた食器類が見て分かりました。 私は土に埋まっていたお猪口を2個手に取り、水溜りで洗ってバンダナで包みました。 破れた赤ちょうちんやビールメーカーの黄色い幟が目に入り「もう父ちゃんはいないんだ。」と思いました。 それから家に戻り、車でマリンタウンのラポールデュパンに行き、店主の鹿島君(SOMCOの店主と同姓)と今年初の再会を喜びました。 この日に見てきたことや、再会した皆んなの話をして、2本の食パンを受け取り、翌々週にまた2本の食パンを受け取る約束をしました。 この時には私は心に決めていました。 今までの毎週でなくても輪島へのルーティーンを再開して、少しずつでも皆んなと共に輪島時間、輪島生活を新しく作ると。 それは穴水の鹿島君、輪島の鹿島君家族、惣領君、池端君らも私の兄達も同じで、未来の輪島に向けての決意が私の中にも生まれていたのです。 次回は東京ミーティングの翌日なので、今回同様、前夜は10時に寝て翌日に備えるつもりです。「決算セール」を頑張って、能登や輪島に支援を続けます。 本日も命を助ける仕事をして下さっている医療従事者の皆様に心から感謝致します。 本当にありがとうございます!! 復興に支援をして下さっている皆様に心から感謝致します。 本当にありがとうございます!! {"tag":" ","htmlTag":"","params":{"url":"https://pds.exblog.jp/pds/1/202402/22/95/b0400795_18591104.jpg","width":"790","height":"444","align":"mid"}} 今年初めてのラポールデュパンの食パンで作ったランチです。自家製のスムージーにきな粉.エゴマ粉を混ぜていただきます。
by kanazawakokon
| 2024-02-22 21:23
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